記事として素敵だと思った。
ポスト真実というのは、
なかなか意味が把握しずらい言葉だが
エンリケ・ダンスさんのこの言い方はなかなかにクールだ。
多くの現代の政治家は、客観的事実に即した情報や結論よりも、個人の感情や、信条、欲望への強い訴えかけの方が影響力を持つことを知って利用している。
これって、かなり応用範囲が広くないだろうか。客観的事実を認識できないほど愚かなのではなく、重々知ったうえで、ポスト真実を利用しているということ。
悲しむべきことに「真実」は、流布される映像ほど重要ではない。
つまりこれは、受け手が真実よりも、流布される映像を重視していることの
裏返しでもある。そして、ここでいう受け手とは、他でもない自分自身を指している。
今、スペインで起きていることについて、ここでは立ち入らないが
結局のところ、欧州については
西ユーロ帝国と東ユーロ帝国の二つに分裂することになるであろう。
これは大父(姉の父)の予想の通りである。
異論には耳を傾けず。事実でないことを事実であると強弁する。そして、自分と同じ考えの人間とだけつながって安心感を得る。残念ながら、これはスペインに限らない、世界的な現象だ。
残念な話であるが、東京の国会中継をみているとき
あるいは、街頭演説への心無い野次の映像をみているとき
まさにこれなのだと思う。
他人を批判することだけを自身の目的とすることは
決してクリエイティブでもプロダクティブでもないものだと思う。
「ポスト真実」の時代は、あいにく「真実」かどうかは問題ではないのだった。誰もが自分が信じたいものだけを信じる時代だ。
この件については、俺が先日に指摘した
「人間は見たいものしか見ようとしない」
の件と同じように思う。
つまり、2000年たっても我々の特性は何も変わっていないともいえる。
すこしばかり技術が進歩したからと言って
文明自体が進歩したと思うことは、いささか傲慢なのだといえるのであろうか。